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 言葉を想う。 その2



最近読んだ本でちょっと感動したので引用しながらとりとめなく。

「言語とは、差異のシステムである」(スイスの言語学者、ソシュール)

差異とは「違い」という意味だが、この場合「区別」と考えたほうが解りやすい。
ソシュール以前、言語とは「モノに張り付けられたラベルのようなもの」と考えられていた。
例えば毛がフサフサして4本脚で人懐っこく「わん」と鳴く「モノ」に対して、「犬」という言葉(ラベル)が張り付けられている、ということだ。

ソシュールは「言語とは、何かと何かを区別するためにある(差異のシステム)」と考えた。

これだけだと何だかよく解らないし、ラベル貼りつけと大した違いはなさそうだが、例えば道端に落ちている「石」はすべてカタチが違う。
が、我々はその一つ一つに名前をつけない。
3つほど拾ってきて、一つずつさして「これは何?」と順番に聞いたところで、すべて「石です」と答える。
3つまとめて「石」だ。

しかし、「ミカンとリンゴとメロン」であればそれぞれを「区別」して呼ぶだろう。
私たちは「ミカンとリンゴとメロン」は「区別」して呼ぶ「価値」と「必要」を認めているからなのだ。
もし「ミカンとリンゴとメロン」のいずれも食さず、興味もない民族が居たとすると、3つひっくるめて「何かの実?」もしくは「全部、有機物の塊だね」という言い方をするかもしれない。

彼らは「ミカンとリンゴとメロン」を区別して呼ぶ必要と価値を持っていないので、それに相当する言葉を持たない。
「いやいや、ナニ言ってんの。全然カタチも色も匂いも違うでしょ?」と言ったところで、先祖代々生まれた時から「ミカンとリンゴとメロン」を食べない人にとって3つの果物の違いなど、私たちにとっての「石の違い」に過ぎない。
私たちも「石だってよくご覧よ、カタチも大きさも色も違うじゃない」と言われたら困ってしまう。

つまり言語は「モノがあるからそれに対応する言葉が生まれた」のではなく、「区別する価値があるから、その区別に対応する言葉が生まれた」ということだとソシュールは考えた。

日本語では「マグロ」と「カツオ」を別の言語で表現するが、英語では両方とも”tuna:ツナ”だったり、さらに日本語では「蝶」と「蛾」を区別するが、フランス語では両方とも”papillon:パピヨン”だったり。

「えー、ぜんぜん違うじゃん」と言ったところで「まぁ、言われてみれば違うけど大した違いじゃないでしょ」ということなのだ。
逆に英語圏の人達は、うさぎを”hare(ヘア=野うさぎ)”と”rabbit(ラビット=うさぎ)”と明確に区別し、「どっちもうさぎじゃん。何?違うのは色?」という日本人を「何で?全然違うのに…」と驚くのだ。

育ってきた文化(価値観の基盤)が違うと、それぞれの価値観の基盤に沿って「何と何を区別するか」が染み付いており、その価値観の体系がそのまま言語の体系として目に見える形で表現されている。

「価値」があるから他と区別するために「言葉」が割り振られているとすれば、区別する「価値」のないものは「言葉」が割り振られない。
言葉が割り振られない「モノ」の「存在」をどう説明すればいいのか。

「犬」を他と区別する価値のあるものとして言葉を割り振った人間という生物だけが地球上から消滅して、果たしてその後の世界に「犬」という「モノ」は存在しているのか。



 自分の子供



先日、中学生の頃の同級生が地元に帰ってきたので呑んだ。
そこに居合わせた二人は新米パパなので、当然子供の話で盛り上がる。
可愛くて仕方がないのだろう。実に嬉しそうに話す。
自分に子供がいないのである意味で羨ましく微笑ましく思いながら、やはりドコか覚めた頭で話を聞いてしまう。

そして最近では野田聖子議員の体外受精のニュース。

子供が欲しい。
これはどういう事だろうか。
考えてみると不思議なことである。

子供が欲しいのであれば、他人の子供、親のない子供をもらってきてもいいはずである。
しかし多くの場合そういう選択をしない。
不妊治療なり代理出産なり体外受精なり色々とややこしい問題を乗り越えて、辛い思いをしながらも「自分の子供」が欲しいのである。
自分の子供でなくてはダメなのである。

当たり前だ、と言われそうだが「人は自分の子どもが欲しい」のである。
それはごく自然なことなのだという。

自分の子供が欲しいということは血縁関係が欲しいということである。
「血縁」が人間にとっての「価値」ということになる。

人が自分の遺伝子を残そうとするのは生物学的な要請なのか、それとも自己性や魂の永劫的な存続という宗教的な要請なのか、いずれにせよ「自分の痕跡」を残すことを欲しているのではないか。
自分の痕跡を残すことを欲するというのは「自己への執着」と言える。
執着することは自然ではない。

自分の子供が欲しいというのは「自然」なのか「執着」なのかわからない。
いや、その前に「自然」ということすら人間が生み出した概念であって、人間が存在しなければ「自然」もないのだけれど。

そして当たり前のことだが、自分の子供は自分ではない。
自己の分身ですらなく見事に他人である。



 時間がどうした



最近我が家のイロイロが壊れている。
DVDプレーヤーが壊れ、テレビが壊れ、そして壁に掛けてある時計も壊れた。

壁に掛けてある時計が壊れてから、一日にどれだけ時計を見ているのかを思い知った。
試しに家でも職場でも壁に掛けてある時計を外してみてください。
結構な回数時計を見ているコトに気づくし、あるべきトコロに時計が無いとかなりのストレスです。

「時間と空間の直観形式によって、人は様々な現象を認識できる」と考えたのは哲学者のカント。
現象を認識し思索するうえでは、時間と空間が直観として理解出来ていることが前提なのだ。

実は時計がなくても生きていくには困らない。
時計は栄養になるわけでも、雨風をしのげるわけでもない。

しかし社会生活はまともに営めなくなってくる。
人との約束は時間があって初めて成り立つのだから。

生きるためには不要だが、生活のために必須であると言える。

あらゆる生物の中で過去・現在・未来という概念を持っているのは人間だけ。
誰もが当たり前に時間を理解してると思い込み、過去に思いを馳せ、未来に期待し、現在を過ごす。

しかし本当に過去はあったか?未来は必ず来るか?「いま」とは一体いつか?など、実は説明するのはかなり厄介だと考えている人は少ない。
なぜ時間があるのか、時間は本当に流れているのか、実はよく解らないのに生きていくにはまるで関係がない。
そして生活をするために時間を知ることは必須なのに、これとて時間に対する理解は必要ない。

昔の賢人はこう言っている。
「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」



 駒野と本田の差は案外こういうトコか



イロイロが未確認で憶測の域をでない情報を元に書かせていただきますが。

日本中に感動を与えたサッカー日本代表が帰国し短い休息の時を経て、それぞれの仕事場へと帰って行きました。
これからまた4年後に向けてそれぞれの仕事場で準備を始めるのです。

その束の間の休息、選手たちは沢山の番組に出演し取材も受けたことでしょう。
他人事ながらお疲れ様です。
中でも圧倒的に取材や番組出演依頼が殺到したのは本田圭佑であることは間違いありません。

100を超えるとも言われるオファーの中には「SMAP×SMAP」のビストロスマップ出演依頼(ギャラ600万!)もあったとか。(未確認ネット情報)
そのすべてを断り幼稚園や母校に無償でサプライズ訪問し、明らかに先を見据えた引き締まった顔でモスクワへと旅立ちました。(報道の通り)

それを知ったとき「すげえ!本田△(←今更意味書くのもアレですが「ほんださんかっけー」)」と、本田△が何かうっかり旅人の二の舞にならないか心配だった私は、イロイロを心のなかで謝ったものです。(まだ空港到着時のファッションと腕時計両手ハメあたりは油断なりませんが)


ところが、
そのビストロスマップにどうやら駒野が出演した模様。
もちろん観ていませんし、番組の内容も全く知りません。

ギャラが幾らとか下世話な話は置いといたとしても、何だかどうにも納得できないこの感じ。

今でも鮮烈に頭に焼き付いている美しいチームワークと予想を覆す感動の試合の数々。
そのラストシーン、それまで控えめに自分の仕事を黙々とこなしてきた駒野に突然スポットライトは当たりました。
あまりに辛く重い悲劇…。それをひとりで背負い込むことの無いようチームメイトは肩を抱き一緒に涙を流しました。

そしてそれはその悲劇を目の当たりにした全員の思いだったはず。

駒野のせいじゃない、誰も駒野を責めてなんかいない、感動をありがとう、みんながその言葉を胸に駒野を抱きしめようと両手広げて帰国を待っていたのです。
しかし殊の外、この男の立ち直りは早かった…。

涙をこらえて広げた両手の横を「オレ、立ち直ったす」「メールで胸張って帰ってこいって言われて」「PKあればまた蹴りたいす」と笑顔ですり抜けるヤツ。



えぇっと。あぁ、そう…。
まぁアレだよね、ホラ誰も責めてたわけじゃないしね。うん、立ち直ったならアレだよな。にしても立ち直るの速えな。
広げた手の立場がなくて、そのままノビでもして涙はアクビのせいにして誤魔化したいこの気持。
駒野が泣きながら謝る前に止めようと思っていたのに、というこの空回り。
ぶっちゃけ何だか半笑いでカチーンとくる軽い憤り。

まぁ、アレです。駒野さんには「別に今回のPKは責めてないけど、二度目はないからね」という台詞と共に「本田△が断ったSMAP×SMAP出てんじゃねぇバカ」「番組スタッフも本田△に断られて駒野を呼んでんじゃねぇバカ」と言わせていただきW杯のコトもこれにて終了とさせていただきます。



 本日の本田宗一郎



いつの間にか6月ですよ、みなさん。
知ってますかそうですか。


屋久島旅行記も何だかブログに記す鮮度が落ちて、正直面倒になってきたワタクシでございます。
どうもこんにちは。
てか撮影した写真が多すぎて写真を選別することすら面倒なんです。
さらに呑んだり呑まれたりして、体力的に普通に生活することが精一杯な状態なんです。
写真はいずれFlickrにでもゆっくりアップする方向で。




てなわけでiPhone4が登場し、ようやくワタクシも携帯電話を持つ現代人の生活に戻れるかもしれない感じになってきました。
頑張って発売日当日に手に入れたいと、そう思ったりしております。
そしてiPhone3Gもしくは3GSをお持ちの方々に「なーに?その古いの」とか言ってやろうと、そう思ったりしております。
今現在携帯も持っていないクセに、というのは聞こえない方向ですし。



最後となりましたが尊敬する本田宗一郎のお言葉。

行動にはつねに動機があり、目的がある。
動機が正義であり、目的が善であって、
その行動だけが悪だということは、
人間にはありえない。

本田宗一郎


こういうお言葉をじっくりと噛みしめて仕事に望む所存の所存です。



 嗚呼、iPhone



100420nextiphone11もはや携帯電話を持たない人に会うのが難しい今日この頃。

私はと言えば携帯(iPhone 3G)を酔っ払って破壊して、そろそろ2ヶ月が過ぎようとしております。
つくづく携帯のない生活が快適だと気づき始めております。


不便なことといえば携帯を時計がわりにしている生活に慣れていたため、一旦外に出ると時間が分からなくなることぐらいでしょうか。
むしろ自分の不便さより周りの方々に「携帯がずーっと留守電のまんまなんだけど(怒)」と職場に電話かけさせて迷惑をお掛けしております。


すぐに携帯を新調しなかった理由に、仕事上必要ないこと、破壊したiPhoneは購入から2年間の縛りが残っている(2年間の分割払い:今年8月まで)、そして何といっても新型iPhone登場の噂。


このタイミングで今のiPhone買って、すぐ新型出ちゃったのにまた2年間の縛りで新調できないのイヤですし。

そんなこと考えてイロイロ躊躇しているこの時期、何だかエラい信憑性のある流出画像が出まわっております。


 >>【号外】飲み屋に落ちてた次世代iPhoneを徹底解剖(その1)
 >>飲み屋に落ちてた次世代iPhone徹底解剖(その2)
 >>アップルが次世代iPhoneを失くした顛末
 >>結末:Appleから次世代iPhone返却要請が届きました!(全文公開)




何だかすごい大変な事態になっているように思いますが…。
これが嘘だったらある意味スゴいわ。
飲み屋に落とすとか他人事とは思えず胸を痛めております。


が、コレ出たら間違いなく「即買い」の方向で。
それまでは携帯ナシの方向でおk。



 本日のコピペ




外人が日本人を特別視してるってのは、自分の国の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。

しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、
その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・。

だから農業で輸出して食べていくことすらできない。条件からして最貧国でもおかしくない国。
そんな国が、100年ほど前で当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、
非白人国家で普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回してガチで戦争して、
世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして、オランダ倒して、
世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。しかも二発だよ。二発。考えられない。

敗戦とか言ってるけど日本のせいでアジアから白人の植民地全部消されたし。
しかも信じられないのは、戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらにインフラまで全部叩き潰されて、
多額の賠償金まで背負わせて100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で、
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年はウザイ顔見ないで済むと思ってたら、
直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって、
参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて世界第一位。

東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で
世界中( ゚Д゚)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。しかも経済の80%が内需。内需だけでそれ。
金融とかでまだ全然進出してないし車や家電、工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。
もうキチガイの域。伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。

何気に世界最長寿国とかなってる。んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。
しかも最近の話をすると日本の防衛庁がガチでガンダムとファンネル開発してる。
挙句に光学迷彩まで研究開発してる始末。どんだけ夢を求める国なんだと。

極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より長い王室ならぬ、
その上の皇室保有。エンペラーに代表される歴史。

普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。

偏っていることは認めつつも笑っちゃうわ。
確かにこんなヤバい国関わりたくない。



 気がつけば



もう10月になっていますね。

ブログもTwitterも放置しっぱなしで、情緒不安定な日々がただ積み重なっているだけの今日この頃、皆様は如何お過ごしでしょうか。

 

偶然YouTubeで見かけてやはり涙が出てしまいました。

金八先生で唯一全部観たシリーズ。その最高の名場面。「卒業式前の暴力」
ヤバいなぁ。アツいなぁ。

何度観てもやっぱり泣く日本のドラマは、このシーンと「北の国から」の泥だらけの1万円札んトコ。

 

 

 

 

「世情」 作詩:中島みゆき 作曲:中島みゆき

 

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

 シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
 変わらない夢を 流れに求めて
 時の流れを止めて 変わらない夢を
 見たがる者たちと 戦うため

世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる

 シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
 変わらない夢を 流れに求めて
 時の流れを止めて 変わらない夢を
 見たがる者たちと 戦うため



 日本はガンダムの方向で



l_ts_daiba06これが量産された暁には、北朝鮮の核開発など…。
というスタンスでいいんじゃない?日本は。

 

本気で核や武力を国間の交渉カードにするなんてクソ食らえだ。

 

「いいんですか、そんな高圧的な態度で。ウチは世界で唯一モビルスーツを装備していますが…。」

我が国はヒトツそんな方向で。

麻生総理もアニメの殿堂に予算を割いてないで、ガンダムに予算を割くべきだと思う。

殿堂じゃ北朝鮮と戦えないし。

 

「あっ、もうひとつ。2015年にはエヴァも完成の予定です」

完璧な交渉カードだね。

 

 

てか、実物大ガンダムが予想以上にカッコ良くて笑った。
7/11〜8/31まで無料公開。

 

>>そうだ、実物大ガンダムを見に行こう

 

間違いなく行きます。



 本日の感心したコピペ 3つ



その1

 

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。 
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。 

少女「あんたら地元の人間か?」 
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」 
少女「で、何しにきたんや?」 
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」 
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」 
団体「・・・・?」 
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。 
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて 
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。 
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。 
   あんたらにわかるか? 
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。 
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」 

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。 
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。 
団体は撤退。 
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。 

 

 

その2

 

ある大学でこんな授業があったという。  
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。 
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。 
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。 
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。 
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。 
そしてもう一度聞いた。 
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。 
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。 

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。 
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。 
「この壺はこれでいっぱいになったか?」 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。 
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。 
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」 

一人の学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」「それは違う」と教授は言った。 

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、 
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」 
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。 
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。 
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。 

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。 
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。 
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。 

 

 

 

その3

 

OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。 
日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。 
外国文化に負けまいとしているのではなく、 
世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、 
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。 
その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、 
そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。 
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。 

そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、 
それがすごいものであることを知らされる。 
ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。 
もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。 
だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、 
この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、 
知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。