8 月
3
時間がどうした
最近我が家のイロイロが壊れている。
DVDプレーヤーが壊れ、テレビが壊れ、そして壁に掛けてある時計も壊れた。
壁に掛けてある時計が壊れてから、一日にどれだけ時計を見ているのかを思い知った。
試しに家でも職場でも壁に掛けてある時計を外してみてください。
結構な回数時計を見ているコトに気づくし、あるべきトコロに時計が無いとかなりのストレスです。
「時間と空間の直観形式によって、人は様々な現象を認識できる」と考えたのは哲学者のカント。
現象を認識し思索するうえでは、時間と空間が直観として理解出来ていることが前提なのだ。
実は時計がなくても生きていくには困らない。
時計は栄養になるわけでも、雨風をしのげるわけでもない。
しかし社会生活はまともに営めなくなってくる。
人との約束は時間があって初めて成り立つのだから。
生きるためには不要だが、生活のために必須であると言える。
あらゆる生物の中で過去・現在・未来という概念を持っているのは人間だけ。
誰もが当たり前に時間を理解してると思い込み、過去に思いを馳せ、未来に期待し、現在を過ごす。
しかし本当に過去はあったか?未来は必ず来るか?「いま」とは一体いつか?など、実は説明するのはかなり厄介だと考えている人は少ない。
なぜ時間があるのか、時間は本当に流れているのか、実はよく解らないのに生きていくにはまるで関係がない。
そして生活をするために時間を知ることは必須なのに、これとて時間に対する理解は必要ない。
昔の賢人はこう言っている。
「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」
