* You are viewing Posts Tagged ‘ウィトゲンシュタイン’

 開かれていたドア



物事の本質を探究したい。

あまりに身近で当たり前過ぎて、誰も深く考えないような事でも深く思考したい。

疑って、疑って、何かが納得出来るまで疑い続けてみたい。

しかし、やはりドコかで行き詰まる。

何をどう考えようとしていたのかすら見失う。

行き着く先は、何となく明後日の方向を向いている気もする。

 

哲学上の疑いにとらわれている人は、部屋の中に閉じ込められて、どういう風にして抜け出せば良いかわからない人に似ている。

窓から抜け出そうとしても窓は高すぎる。煙突は狭すぎて出られない。

そういうときに、もし百八十度うしろを向くと、ドアがはじめからずっと開きっぱなしだった事に気がつく。

哲学もこれと同じだ。

ウィトゲンシュタイン

 

 

なるほどね。

開いていたかもしれない。

 

だが、うしろに気がつかないのも確かだ。

いや、もしかしたら、わかっていて気づこうとしていないか、うしろを見ないようにしているのかもしれない。

何とか、この部屋から抜け出さなければ。

あの窓にまで届く梯子はどこかにないのか。

 

割と至福の時かもしれない。



 本日のお言葉。



私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する

世界は、いずれにせよ「私の世界」でしかありえない。
世界の限界に「私」がいない世界は考えられないからである。

論理は世界に充満する。世界の限界は,論理の限界でもある。
思考できないものを思考することはできない。
かくして,思考できないものを語ることもまたできない。

語りえぬものについては,沈黙せざるをえない。

   –ウィトゲンシュタイン