3 月
28
開かれていたドア
物事の本質を探究したい。
あまりに身近で当たり前過ぎて、誰も深く考えないような事でも深く思考したい。
疑って、疑って、何かが納得出来るまで疑い続けてみたい。
しかし、やはりドコかで行き詰まる。
何をどう考えようとしていたのかすら見失う。
行き着く先は、何となく明後日の方向を向いている気もする。
哲学上の疑いにとらわれている人は、部屋の中に閉じ込められて、どういう風にして抜け出せば良いかわからない人に似ている。
窓から抜け出そうとしても窓は高すぎる。煙突は狭すぎて出られない。
そういうときに、もし百八十度うしろを向くと、ドアがはじめからずっと開きっぱなしだった事に気がつく。
哲学もこれと同じだ。
ウィトゲンシュタイン
なるほどね。
開いていたかもしれない。
だが、うしろに気がつかないのも確かだ。
いや、もしかしたら、わかっていて気づこうとしていないか、うしろを見ないようにしているのかもしれない。
何とか、この部屋から抜け出さなければ。
あの窓にまで届く梯子はどこかにないのか。
割と至福の時かもしれない。