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 本日の本田宗一郎



いつの間にか6月ですよ、みなさん。
知ってますかそうですか。


屋久島旅行記も何だかブログに記す鮮度が落ちて、正直面倒になってきたワタクシでございます。
どうもこんにちは。
てか撮影した写真が多すぎて写真を選別することすら面倒なんです。
さらに呑んだり呑まれたりして、体力的に普通に生活することが精一杯な状態なんです。
写真はいずれFlickrにでもゆっくりアップする方向で。




てなわけでiPhone4が登場し、ようやくワタクシも携帯電話を持つ現代人の生活に戻れるかもしれない感じになってきました。
頑張って発売日当日に手に入れたいと、そう思ったりしております。
そしてiPhone3Gもしくは3GSをお持ちの方々に「なーに?その古いの」とか言ってやろうと、そう思ったりしております。
今現在携帯も持っていないクセに、というのは聞こえない方向ですし。



最後となりましたが尊敬する本田宗一郎のお言葉。

行動にはつねに動機があり、目的がある。
動機が正義であり、目的が善であって、
その行動だけが悪だということは、
人間にはありえない。

本田宗一郎


こういうお言葉をじっくりと噛みしめて仕事に望む所存の所存です。



 本日の小林秀雄 〜美を求める心



見るとか聴くとかという事を、簡単に考えてはいけない。

ぼんやりしていても耳には音が聞こえて来るし、特に見ようとしなくても、目の前にあるものは眼に見える。

耳の遠い人もあり、近眼の人もあるが、そういうのは病気で、健康な眼や耳を持ってさえいれば、見たり聞いたりすることは、誰にでも出来る易しいことだ。

頭で考える事は難しいかもしれないし、考えるのには努力が要るが、見たり聞いたりする事に、何の努力が要ろうか。そんなふうに、考えがちなものですが、それは間違いです。

見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです。

 

小林秀雄

 

 

見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。

例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。

見るとそれは菫(すみれ)の花だとわかる。

何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。

諸君は心の中でお喋りをしたのです。

菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入ってくれば、諸君は、もう眼を閉じるのです。

それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。

菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。

言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、かつて見たこともなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。

小林秀雄

なるほど、考えること同様、見ることも聴くことも難しい。
私たちは毎日何かを見て聞いて考えて生きている、と思っている。

しかし、見ていたか、聞いていたか、考えていたか。

生きていく理由は見付からぬが、何故死なないでいるのか解らない、そんな胸を締め付けられる悲しみを、美は少しでも和らげてくれるかもしれない。

考えること同様、見ることも聴くことも、手を抜かず「真善美」を探求し、魂の世話に努めたい。



 本日のお言葉



人間は、1枚の紅葉の葉が色づく事をどうしようもない。先ず人間の力でどうしようもない自然の美しさがなければ、どうして自然を模倣する芸術の美しさがありましょうか。

言葉もまた紅葉の葉のように自ら色づくものであります。ある文章が美しいより前に、先ず材料の言葉が美しいのである。

例えば人情という言葉は美しくないか、道徳という言葉は美しくないか。長い歴史が、これらの言葉を紅葉させたからであります。

小林秀雄

言葉では説明できない1枚の絵画や写真の美しさ、目で見る事も触る事も出来ない意識や存在の不可思議。

それらを言葉によってしか思索できないもどかしさ。

言葉について考えると止まらなくなる。

遠い昔、意識とともに与えられた言葉という人間の思索唯一の武器の美しさと魅力は何なのか?



 本日のお言葉



果たして他人(ひと)を説得する事が出来るものであろうか、もし説得できたとしたら、その他人(ひと)は初めから、説得されていた人なのではないだろうか。

小林秀雄

これは本当にそう感じる。

わかる人にはわかるが、何をどうしたって、わからない人にはわからない。

誰かが何かを言ったからわかったのではなく、その人は最初からわかっていたのだと、そんな風に思う事が多い。



 本日のお言葉



一生懸命やれば、知恵が出る

 
中途半端にやれば、愚痴が出る

 
いい加減にやれば、言い訳が出る

何が出たのか自問自答してみる。



 40歳の決意表明



人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。

彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものになれなかった。

これは驚く可き事実である。

小林秀雄

一体、現代人は、人間の覚悟というものを、人間の心理というものと取り違える、実に詰まらぬ癖があります。
覚悟というのは、理論と信念が一つになった時の、言わば僕等の精神の勇躍であります。

小林秀雄

自信というものは、いわば雪のように音もなく、幾時の間にか積もった様なものでなければ駄目だ。
そういう自信は、昔から言うように、お臍の辺りに出来る、頭には出来ない。
頭はいつも疑っている方がよい。難しい事だが、そういうのが一番健康で望ましい状態なのである。

小林秀雄

 

「ばかやろう、てめぇらとは覚悟が違う」

小林秀雄

 

何をどうあがいたって、私は私以外のものになれないのだ。
こればかりは、努力してどうにかなるものではない。

 

こと仕事に関して、私は本質的な問題を思索してきたつもりだ。

表面上の流行やテクニックなどに流される事なく、腰を据えて自分なりに本質の探究を続けているつもりだ。

 

若い頃はアツくなって、自分の考えをだれかれ構わずぶつけてきた事もあった。
今考えると、そうしないとフラフラ楽な方に逃げてしまうかもしれない、という自分なりの危惧があったのかもしれない。

要するに自信がなかったのだ。

 

今ならわかる。自信というものがお臍の辺りに積もるという表現も、今ならわかる気がするのだ。

そして、これからもこういう方法でしか仕事は出来ない。

そうしたいのではなく、それしか出来ないのだ。

 
金や他者や圧力に惑わされる事のない、「それしか出来ない」という清々しさ。
それは、まさに「理論と信念が一つになった時の、言わば僕等の精神の勇躍」というものか。

 

アンテナを張る、などと言う気味の悪い情報収集で、あっち行ったりこっち行ったり何の覚悟もなく、ただ年だけ重ねてしまったような連中が、私の仕事の評価をし、口を出すなんて耐えられない。

 

アンテナさえ張れば収集出来るような、ちょっと探せば見つかるような、たかが「情報」に何の価値があるものか。
自分の頭で、疑い続けて吐き気を催すくらい考えた末に積もる「知識」にしか価値なんてあるものか。

 

私も言ってやる。

「ばかやろう、てめぇらとは覚悟が違う」



 開かれていたドア



物事の本質を探究したい。

あまりに身近で当たり前過ぎて、誰も深く考えないような事でも深く思考したい。

疑って、疑って、何かが納得出来るまで疑い続けてみたい。

しかし、やはりドコかで行き詰まる。

何をどう考えようとしていたのかすら見失う。

行き着く先は、何となく明後日の方向を向いている気もする。

 

哲学上の疑いにとらわれている人は、部屋の中に閉じ込められて、どういう風にして抜け出せば良いかわからない人に似ている。

窓から抜け出そうとしても窓は高すぎる。煙突は狭すぎて出られない。

そういうときに、もし百八十度うしろを向くと、ドアがはじめからずっと開きっぱなしだった事に気がつく。

哲学もこれと同じだ。

ウィトゲンシュタイン

 

 

なるほどね。

開いていたかもしれない。

 

だが、うしろに気がつかないのも確かだ。

いや、もしかしたら、わかっていて気づこうとしていないか、うしろを見ないようにしているのかもしれない。

何とか、この部屋から抜け出さなければ。

あの窓にまで届く梯子はどこかにないのか。

 

割と至福の時かもしれない。



 本日のお言葉。



私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する

世界は、いずれにせよ「私の世界」でしかありえない。
世界の限界に「私」がいない世界は考えられないからである。

論理は世界に充満する。世界の限界は,論理の限界でもある。
思考できないものを思考することはできない。
かくして,思考できないものを語ることもまたできない。

語りえぬものについては,沈黙せざるをえない。

   –ウィトゲンシュタイン



 父の命日



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朝、鈍い日が照つてて
風がある。

千の天使が
バスケツトボールする。

私は目をつむる、
悲しい酔ひだ。
もう不用になつたストーヴが
白つぽく錆びてゐる。

朝、鈍い日が照つてて
風がある。

千の天使が
バスケツトボールする。

–中原中也



 本日のお言葉。



様々なところで、使われているので具体的に誰の言葉なのかは知らない。

1人の100歩より100人の1歩

創造やひらめきは、一部の天才やエリートのものではない。

それでも、どこかで「たった1人で世界を変える」物語に憧れていた。

いつやめるか判らないスタッフに期待するより、自分が100歩進むんだと言う気持ちが強かった。
自惚れていた自分に乾杯。

「1人の賢者より多数のふつうの人の方が賢いし、鋭い1人の知恵より平均的な多数の知恵の方が上だ」

–Google CEO エリック・シュミット

仕事の能力とは、仕事の出来不出来や要領ではなく、どれだけ問題点(改善点)を見つけられるか、そしてそれに対する知恵を出せるかだと思う。

そうスタッフには言い聞かせてきた筈だ。

2009年、1年かけてスタッフの能力を最大限に引き出せる環境を作る。