3 月
29
40歳の決意表明
人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。
彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものになれなかった。
これは驚く可き事実である。
小林秀雄
一体、現代人は、人間の覚悟というものを、人間の心理というものと取り違える、実に詰まらぬ癖があります。
覚悟というのは、理論と信念が一つになった時の、言わば僕等の精神の勇躍であります。小林秀雄
自信というものは、いわば雪のように音もなく、幾時の間にか積もった様なものでなければ駄目だ。
そういう自信は、昔から言うように、お臍の辺りに出来る、頭には出来ない。
頭はいつも疑っている方がよい。難しい事だが、そういうのが一番健康で望ましい状態なのである。小林秀雄
「ばかやろう、てめぇらとは覚悟が違う」
小林秀雄
何をどうあがいたって、私は私以外のものになれないのだ。
こればかりは、努力してどうにかなるものではない。
こと仕事に関して、私は本質的な問題を思索してきたつもりだ。
表面上の流行やテクニックなどに流される事なく、腰を据えて自分なりに本質の探究を続けているつもりだ。
若い頃はアツくなって、自分の考えをだれかれ構わずぶつけてきた事もあった。
今考えると、そうしないとフラフラ楽な方に逃げてしまうかもしれない、という自分なりの危惧があったのかもしれない。
要するに自信がなかったのだ。
今ならわかる。自信というものがお臍の辺りに積もるという表現も、今ならわかる気がするのだ。
そして、これからもこういう方法でしか仕事は出来ない。
そうしたいのではなく、それしか出来ないのだ。
金や他者や圧力に惑わされる事のない、「それしか出来ない」という清々しさ。
それは、まさに「理論と信念が一つになった時の、言わば僕等の精神の勇躍」というものか。
アンテナを張る、などと言う気味の悪い情報収集で、あっち行ったりこっち行ったり何の覚悟もなく、ただ年だけ重ねてしまったような連中が、私の仕事の評価をし、口を出すなんて耐えられない。
アンテナさえ張れば収集出来るような、ちょっと探せば見つかるような、たかが「情報」に何の価値があるものか。
自分の頭で、疑い続けて吐き気を催すくらい考えた末に積もる「知識」にしか価値なんてあるものか。
私も言ってやる。
「ばかやろう、てめぇらとは覚悟が違う」